HbA1cの国際標準化と表記法の変遷

今月(2008年8月)の通院時に「HbA1cが6.5[%]以下が合併症にならないための目標値です」と言われ、少し疑問に感じました。

米国において実施されたDCCT(Diabetes Control and Complications Trial)の研究結果によると、インスリン強化療法を行なってHbA1c7.0[%]になった患者群は、従来インスリン療法を行って9.0[%]になった患者群と比較して、明らかに合併症の発症リスクは低くなっています。

それなのに何故日本では6.5[%]なのだ?下駄を履かせているのか?と思い調べてみると、米国と日本では次の点が微妙に異なっていました。

  • HbA1c測定系の基準となる標準物質

作成した標準物質に付けた値の違いが、それぞれの国におけるHbA1c値の違いに表れていたようです。

HbA1cはグルコースが結合したヘモグロビン

血液中の赤血球は、酸素を全身に運搬する役目を担っていますが、赤血球内のヘモグロビンというタンパク質のヘム部分の鉄原子に酸素分子が結合します。

ヘモグロビンの構造

2種類のサブユニットそれぞれ2つから成る四量体構造をしている。

サブユニットは、α鎖、β鎖、γ鎖、δ鎖の4種類が存在し、グロビンと呼ばれるアミノ酸が鎖状につながっているポリペプチド部分とヘム部分が結合した構造をしている。

ヒトの正常ヘモグロビンは以下の3種類。成人では、α2β2構造のadult型のヘモグロビンAが95~98[%]を占める。

  • ヘモグロビンA=α2β2:95-98[%]
  • ヘモグロビンA2=α2δ2:1.5-3.5[%]
  • ヘモグロビンF=α2γ2:0.5[%]

ヘモグロビンAを陽イオン交換樹脂によるクロマトグラフィーで成分ごとに分離した時、主要成分としてHbA0が、微量成分としてHbA1が分画され、後者はさらに分画され、分離順にHbA1a、HbA1bHbA1c、HbA1dと命名されました。

ヘモグロビンAの画分
  • HbA0:主要成分
  • HbA1:微量成分
    • HbA1a
    • HbA1b
    • HbA1c
    • HbA1d

後にHbA1画分は、ヘモグロビンAにグルコースやリン酸化糖などが結合した「グリコヘモグロビン」であることがわかりました。この画分は総ヘモグロビンの5-8[%]を占め、半分以上はHbA1c画分です。

ヘモグロビンAへの結合物
  • HbA1a1:フルクトース 1,6-ビスリン酸(FBP)
  • HbA1a2:グルコース 6-リン酸(G6P)
  • HbA1b:ピルビン酸
  • HbA1c:グルコース

ヘモグロビンとグルコースの結合は血中グルコース濃度に依存することから、HbA1c画分は、血糖値の変動を含んだ平均血糖レベルの指標になり得ます。

高い血糖値が長時間維持されると、HbA1c画分の割合が大きくなる、ということです。

治療の効果などを判断するためにHbA1c[%]を測定する訳ですが、当初は測定施設間の差が大きく、他者と比較できるような絶対的な値ではなかったようです。

日本では、1993年以降HbA1c測定の対象物質が厳密に定義され、定義に基づいて作成されたHbA1cの標準物質(長さで言えばメートル原器のようなもの)によって測定装置を校正することにより、どの施設で測定しても数値の持つ意味に差が無い標準化体系が構築されていきました。

HbA1c標準化の結果、測定施設間の差はかなり小さくなりました。A施設で測定してもB施設で測定しても同じ値になるという極めてあたり前なこの事は、血糖コントロールの指標として、また診断基準として適用できるまでになりました。

一方、HbA1cの国際標準化に目を向けると、過去のHbA1c値と継続性および整合性を図りながら国際標準に準拠していかなければならないのでした。

日本におけるHbAc標準化は、日本糖尿病学会 (Japan Diabetes Society)が主導してきたことから、他国の値と区別するときに(JDS値)と併記する場合があります。

正常成人のHbA1cの値は、おおよそ4.3~5.8[%](JDS値)です。

世界的に普及しているHbA1cのNGSP値

HbA1cは、呼び名も測定原理も世界共通なのに、測定における標準物質が各国において微妙に異なることから、測定値が違ってきます。

アメリカ合衆国を中心に大多数の国で使われているNGSP値は、日本のJDS値より約0.4ポイント大きい値を示します。他にスウェーデンが独自の測定法を持っているようですが、少数派なので略します。

アメリカ合衆国におけるHbA1cの標準化は、糖尿病の大規模臨床研究(DCCT; Diabetes Control and Complications Trial)を実施する際に、各施設に標準物質を配布して精度を満たした施設だけを参加させた、というのが始まりです。

DCCTは1993年に終了しましたが、血糖を良い状態にコントロールすることは、糖尿病合併症の発症と進行の防止に効果がある、ということがわかりました。

これを受けて、その指標となるHbA1cの重要性を認識し、標準化のためのプログラムNGSP(National Glycohemoglobin Standardization Program)を米国臨床化学会(AACC; American Association for Clinical Chemistry)の標準化委員会のグリコヘモグロビン小委員会として、1993年4月に発足させました。

NGSP値と日本のJDS値が異なる原因は、測定における標準物質の違いによるものでした。

HbA1cは、ヘモグロビンβ鎖N末端バリンのアミノ基にのみグルコースが共有結合したヘモグロビンです。

しかし、いざ標準物質を作成するとなると、血液中のヘモグロビンを1個1個選別して厳密なHbA1c物質を抜き出すことは不可能ですから、NGSP値とJDS値のどちらの標準物質にもHbA1c以外のコンポーネントが含まれていたようです。

作成した標準物質のHbA1c値をどう付けるか、これがNGSP値とJDS値の違いの原因です。JDS値は、NGSP値に換算することができ、6.5[%](JDS値)は、NGSP値で6.9[%]になります。

  • HbA1c(NGSP値)[%] = 1.019 × HbA1c(JDS値)[%] + 0.3

HbA1cの国際標準化(IFCC値)

アメリカ合衆国を中心とした大多数の国、日本、スウェーデンと各国独自で標準化はされているものの、国際標準ではないということは、いろいろな面で不都合が生じます。

長さは国際単位が[m]ですので、6.5[m]はどこの国でも6.5[m]ですが、HbA1cの単位は[%]ですから、NGSP値とJDS値のように数字が同じでも中身が違ってきます。

これでは、筆者がDCCTの研究結果を見たときに疑問を持ったように混乱してしまいます。

そこで2007年に、国際糖尿病連合(IDF; International Diabetes Federation)、国際臨床化学連合(IFCC; International Federation of Clinical Chemistry and Laboratory Medicine)、米国糖尿病学会(ADA; American Diabetes Association)、欧州糖尿病学会(EASD; European Association for the Study of Diabetes)の各団体は、HbA1cを国際標準化してIFCC値[nmol/mol]に統一する「HbA1c値国際標準化についての共同声明」を発表しました。

IFCCが定義したHbA1cは、ヘモグロビンのβ鎖N末端バリンのアミノ基にグルコースが共有結合したすべてのヘモグロビンです。

この定義に従うと、ヘモグロビンをエンドプロテアーゼGlu-Cを用いてヘキサペプチド(ヘモグロビンβ鎖N末端バリンを含んだ6個のアミノ酸残基)に分解し、グルコースが結合した糖化ヘキサペプチドと非糖化ヘキサペプチドをLC/MS(液体クロマトグラフ質量分析)またはCE(キャピラリー電気泳動法)で定量し、割合を算出します。

IFCCの定義による正常成人のHbA1c値[%]は、2.5~4.5[%]となるので、JDS値に対して約1.5ポイント低く、NGSP値に対しては約1.9ポイント低い値を示してしまいます。

IFCC定義のHbA1cが低い値を示す理由は、JDS値の標準物質に含まれてしまっていたβ鎖17位セリンの糖化産物などが測定されなくなったからです。

国際標準化を進めるにあたって、従来の値より約1.5ポイントも小さい値になってしまっては医療現場が混乱してしまうということで、単位を[nmol/mol]とすることにしました。

6.5[%](JDS値)は、換算すると50.7[nmol/mol]になり、値も単位も異なるため従来値と間違えることはないだろう、という配慮でした。

  • HbA1c(IFCC値)[nmol/mol] = 10.39 × HbA1c(JDS値)[%] - 16.8

数年間はJDS値とIFCC値を併記する期間を設け、その後、IFCC値に移行してHbA1cの国際標準化完了の予定でしたが、アメリカ合衆国が従来どおりNGSP値表記を用いる方針としたため、国際単位[nmol/mol]への移行は進まなくなりました。

ただ、HbA1cのIFCC定義は国際標準ですから、標準物質はIFCC定義によるものに変更され、状況に応じてNGSP値やJDS値、IFCC値に換算することになると思われます。

今後のHbA1cの表記

大多数の国が採用しているNGSP値の総本山であるアメリカ合衆国が、IFCC値表記ではなくNGSP値表記を使い続ける方針を出したことから、日本はIFCC値表記もしくはJDS値というわけにいかなくなり、ここにきてようやく諸外国と足並みを揃えるべくNGSP値表記を採用するに到ったのでした。

JDS値とNGSP値は単位こそ[%]と同じですが、値は約0.4ポイントの差があることを前述しました。いきなりNGSP値表記に変更すれば混乱すると思われます。

そこで経過措置として、日本でこれまで使われてきたJDS値をHbA1c、NGSPがHbA1c(NGSP値)を大文字でA1Cとすることを提唱していることから、NGSP値をA1Cと表記することにし、この二つを併記することになりました。

  • A1C[%] = 1.019 ×HbA1c[%] + 0.3

併記期間において、HbA1cとA1Cの違いが周知徹底された後は、A1Cに一本化されます。

HbA1c6.5[%]とA1C6.9[%]は、数値は違えどその本質的な意味は全く同じです。A1C表記になって治療基準が0.4[%]緩くなったということではありません。

2010年09月追記:日本糖尿病学会が策定し、2010年7月1日から施行された「新しい糖尿病診断基準に係わる国際標準化HbA1cの運用について(pdf)」によると、A1C表記は行なわないことになりました。

つまり、HbA1c(JDS値)に約0.4[%]加えたものをHbA1c(国際標準値)と呼ぶことになり、これはHbA1c(NGSP値)に相当する値です。

  • 1.019 × HbA1c(JDS値)[%] + 0.3 = HbA1c(NGSP値)[%] ⇒ HbA1c(国際標準値)[%]

HbA1cの国際標準化は、国際臨床化学連合 (IFCC) 定義によるIFCC値[nmol/mol]に統一されようとしていましたが、アメリカ合衆国がNGSP値を使い続ける方針を出したことから、NGSP値が事実上の国際標準になってしまいました。

これを踏まえ、JDS値からNGSP値への移行期間においては、JDS値をHbA1c、NGSP値をA1Cと表記および併記しようとしていました。

しかし、上記「国際標準化HbA1cの運用について」によると、A1C表記はせず、JDS値もNGSP値もHbA1c表記になるようです。

ただし、日本糖尿病学会が別途告示する国際標準化変更日前におけるHbA1c表記の意味するところはHbA1c(JDS値)であり、それ以降におけるHbA1c表記の意味するところはHbA1c(国際標準値)であることに注意しなければなりません。

現在は、HbA1cの標準物質はIFCC定義によるものになり、HbA1c(NGSP)[%]の表記を使用することになっています。