国道229号の旧道、余市-古平間「海岸道路」(1984年)

なぜか知らないけれど人は岬の先端に行きたくなるもので、岬の多くには灯台があって観光地になっている。

積丹半島の積丹岬神威岬もそうで、1984年当時は、余市から古平、美国、余別を経由する国道229号の東海岸側を走って行った。西海岸側には不通区間があり、選択の余地は無かった。

小樽市から積丹半島を望む。1984年8月26日、美国からの帰路に積丹半島方面を小樽市塩谷海水浴場(Google ストリートビュー)あたりから撮影。山地が直接海に没している積丹半島の海岸は、波浪の浸食により山裾が失われ、高さ100[m]から200[m]にも及ぶ断崖が続く。

余市-古平間の海岸線は断崖と岬の連続で、岬と岬の間の河川河口わずかな平地に漁港を持つ集落(町)が点在する。山間部には人家や道路はほとんど無い。

現在の余市-古平間国道229号の全体図現在の余市-古平間の国道229号は、余市町富沢町から山間部に入り、海岸沿いの集落を4つの長大トンネルで結び古平に至る、言うなれば「海岸トンネル防災道路」。その元になったルートは、1958年(昭和33年)開通の「海岸道路」で、海岸線沿いにワッカケ岬からセタカムイ岩までの岬群を隧道と覆道で結んだ。
出典:国土地理院「電子国土基本図」

「海岸道路」を初めて走った1984年(昭和59年)8月。車道幅員は狭く、隧道はさらに狭くて5.5[m]。隧道出入り口の急カーブは当たり前、隧道内にもカーブがある。覆道も必然的に多く、明り取りが付いていても暗いものは暗い。

慎重な走りを要求される道だったからか、次々と現れる岬、隧道を抜けると右側に広がる海、頭上の断崖などの目にしたはずの風景を思い出すことができない。

ツーリングライダーは隧道の中の嫌な感じ以外覚えていない道でも、積丹半島を「陸の孤島」から解放した住民悲願の道だったのだ。

余市-古平間「海岸道路」

この「海岸道路」は1948年(昭和23年)8月着工、途中で国道229号に指定され、余市から古平までの国道が全線開通したのは10年後の1958年(昭和33年)10月。

これでようやく一年を通じて積丹半島の「陸の孤島」は解消されたかに見えたが、ひとたび断崖の崩落が起きると「陸の孤島」に戻りかねない。

ここからは、ある時は鉄道敷設を陳情し、またある時は港築設を陳情し、またまたある時は自動車道路建設を陳情し、その時代の交通トレンドを享受したいと願ってきた古平の住民目線で古平側から「海岸道路」を見ていこうと思う。

古平町中心部から沖町まで

海岸の断崖絶壁の下に作られた沖村道路は、1928年(昭和3年)5月にフォード幌型5人乗り自動車を使った余市-古平間の定期運行が始まっているので、自動車の通行は可能だった。

古平町中心部から沖村までの海岸線の地形図沖村道路は、古平川河口(地図左側)古平の沢江町あたりからセタカムイ岩(地図右側)手前の集落、古平の沖町(昔の沖村)までの約3[km]。「海岸道路」開通以前は、岩を素掘りしたトンネルが3ヶ所ほどあったらしい。
出典:国土地理院「電子国土基本図」

「海岸道路」の開通に合せてまたは開通後も、崖崩れや雪崩を防止するための覆道化や拡幅、冬期間通行確保のための事業など改良工事が行われたのだろうと思う。

古平町からセタカムイ岩までを海側から見た3D図1974年~1978年撮影空中写真を3D化。図右側の平地は古平川河口にある沢江町。図左側はセタカムイ岩。断崖は高いところで約100[m]。
出典:国土地理院「電子国土基本図」

これだけ断崖絶壁が続くと覆道も長い。沢江町と歌棄町の境界付近から Google ストリートビューで沖村道路の覆道(手前は沖歌トンネルの歌棄町側口、奥にセタカムイ岩が見える)を確認できる。

沖町から豊浜町までの「海岸道路」

さて、1948年(昭和23年)9月、工事起点となるセタカムイ岩の沖町側で着工式が行われたが、なぜか工事は前月の8月から始まっていた模様。

土木資材などの物資輸送は、小樽や余市から古平へ貨物船で、古平から沖町へは貨物自動車で運ばれたと思われる。海路は明治時代から積丹地方の「大動脈」でしたから。

沖町と豊浜町の間の海岸は、大小さまざまの石からなる浜とセタカムイ岩、チャラツナイ岬、蛸穴ノ岬の岬がある。古平の沖町-余市の豊浜町間は直線距離で約2.4[km]。道路はできる限り海側に寄せて、トンネルはできる限り岬先端に近づくルートで計画された。現在は、紆余曲折があって全長2,228[m]の豊浜トンネル1本で結ばれている。
出典:国土地理院「電子国土基本図」

Google ストリートビューで沖歌トンネル沖町側口の横に確認できる沖村道路への入口。ということは、覆道が続く沖村道路も沖歌トンネルに取って代わられた。

沖町から豊浜町までを海側から見た3D図1974年~1978年撮影空中写真を3D化。図右側の沖村川河口の平地が古平の沖町。図左に進むとセタカムイ岩、抜けて高さ150[m]から200[m]の断崖絶壁の下を通ってチャラツナイ岬、抜けて蛸穴ノ岬、そして図左側の湯内川河口の平地が余市の豊浜町。
出典:国土地理院「電子国土基本図」

国道229号からセタカムイ道路防災祈念広場へ入る浜側の道が「海岸道路」の痕跡(Google マップ)。この先の盛土部には、1956年(昭和31年)完成のセタカムイ隧道が隠れているはず。

この辺が「海岸道路」の工事起点。1948年(昭和23年)8月に工事が始まって、3年後の1951年(昭和26年)10月、古平の沖町から余市の豊浜町までの「海岸道路」区間約2.8[km]がとりあえず旧道とつながった。

現在、国道229号から「海岸道路」沖町-豊浜町区間の途中に通じる道は無い。

余市の豊浜町へ飛び、Google ストリートビューで現在の豊浜トンネルに向かって右に目をやると、蛸穴ノ岬を貫く豊浜隧道の豊浜町側坑口がある。

1984年(昭和59年)8月に初めて「海岸道路」を走った時、右にカーブしてトンネルに入っていった。蛸穴ノ岬とチャラツナイ岬をスルーする新しい豊浜トンネルが11月の開通を目前に控えていたから、ギリギリ完全な「海岸道路」を通行したことになる。

蛸穴ノ岬の豊浜隧道はだめだ。暗いトンネル内のカーブと狭い道幅から来る閉塞感で、平衡感覚が狂いそうになったことを思い出した。

道は、その時代の要求と技術の進歩によって変化していくが、「三歩進んで二歩下がる」のような相対的に少しずつしか進めていないように感じる。

冬期間の通行が可能になって、さらに距離と時間も短縮し、積丹半島を「陸の孤島」から解放した「海岸道路」。でもそれは、数年でトンネルを廃棄するのも厭わず、常に災害に対する改良工事を続けなければ維持できない道だった。

豊浜町から白岩町までの「海岸道路」

「海岸道路」着工から3年後の1951年(昭和26年)10月、沖町-豊浜町間隧道の貫通式が行われ、この勢いで豊浜町-白岩町区間の工事が進むと思われた。

しかし、区間最初のトンネル、滝の澗隧道の掘削が1951年(昭和26年)12月に始まったものの年内で中止、翌年も掘削は行われなかった。

豊浜町-白岩町間にある岬は滝ノ澗ノ岬とワッカケ岬。余市の豊浜町-白岩町間は直線距離で約2.6[km]。現在のルートは、滝ノ澗ノ岬を滝の澗トンネルが、ワッカケ岬をワッカケトンネルがショートカットしているが、「海岸道路」は、海岸線を岬先端近くまでアプローチしてトンネルを通した。なお、山間部にある徒歩道(破線)は「余市山道」の跡。
出典:国土地理院「電子国土基本図」

沖町-豊浜町区間は難工事の上、多額の工費が掛かったことで、その先の区間も難工事と多額の工費が要すると予想された。

まずは沖町-豊浜町区間の供用開始を目指したのだろうか、1952年(昭和27年)の施工延長はわずか111[m]。それでも1953年(昭和28年)春頃には、なんとか道道として供用開始された。

しかし、北海道が費用を負担して工事を継続することは困難であり、国道または国から交付金の補助が見込める開発道路に指定されることが必須の状況だった。

悪いことは重なるもので、1952年(昭和27年)6月、大正末から続いた積丹半島鉄道敷設の夢は潰えた。古平-余市-岩内間の鉄道敷設請願が国会運輸委員会で議決されるものの、鉄道建設審議会の建設線選定基準に満たなかったためだ。

「陸の孤島」と言われた積丹半島の開発促進、産業発展、文化交流には、もはや「海岸道路」を完成させるしかなくなったが、正に起死回生。

積丹地方国道期成会によるすさまじい請願、陳情の末、1953年(昭和28年)5月に余市-古平間道路が国道229号線に指定されたと同時に滝の澗隧道の掘削再開。

古平の沖町から余市の白岩町までを海側から見た3D図1974年~1978年撮影空中写真を3D化。図右側の平地は古平の沖町、図中ほどの平地は余市の豊浜町、図左側は白岩町。沖町-豊浜町区間の断崖に比べれば、豊浜町-白岩町区間はそれほど厳しくはないと思う。
出典:国土地理院「電子国土基本図」

  • 滝の澗隧道:1954年(昭和29年)10月完成
  • ワッカケ隧道:1954年(昭和29年)12月掘削開始-1956年(昭和31年)12月完成

豊浜トンネルを抜けるとすぐ先に滝ノ澗ノ岬と滝の澗トンネルの豊浜町側坑口があるが、目線を岬先端の方に向ければ滝の澗隧道の豊浜町側坑口(Google ストリートビュー)が見える。石垣を積んで足場を造り、削岩機とダイナマイトによる発破で掘削したそうだ。

滝の澗隧道を抜けると断崖の下の海岸線を縫うように道(Google Earth 3D)が通っていて、この辺りにバイクを停めて蝋燭(ローソク)岩の写真を撮った。

滝ノ澗ノ岬から見る蝋燭岩1984年8月26日、美国からの帰路に撮影。ローソク岩は余市町に属するが、古平の人々にとっては船上から何度も見たであろう馴染みの奇岩。ところでこの案内板の説明、何を言っているのかよくわからない。

白岩町から梅川町まで

道路の工事やその維持・管理も国費で賄うことに決まり、地元は少し気が大きくなったのか、白岩町からこのまま海岸道路を延長してシリパ岬を抜けて余市に至るルートを要望したらしい。

余市の白岩町からシリパ岬までを海側から見た3D図1974年~1978年撮影空中写真を3D化。図右下が余市の白岩町。そこから山間部に入り、図左上の余市市街地に至るルートが見える。無理して断崖下の海岸道路にすることもないでしょう。
出典:国土地理院「電子国土基本図」

「余市山道」は国道229号の西を通っていた。2012年に新しい梅川トンネルに付け替えられたが、白岩町から山間部に入り出足平峠を梅川トンネルでスルーして梅川町まで約3.5[km]のルートは当時のまま。
出典:国土地理院「電子国土基本図」

着工から10年後、1958年(昭和33年)10月に梅川隧道が完成したことで、国道229号の余市-古平間「海岸道路」は全線開通した。

「海岸道路」の開通後

最も大きな変化は、大正時代中頃から40年以上も積丹半島住民の「大動脈」だった定期航路の廃止。国道229号の余市-古平間全線が開通して1年後の1959年(昭和34年)12月のことだった。

冬の荒海や悪天候で運休になって物資や人の輸送が滞っても、まずは日常生活に支障が出ることは無かったというが、冬期間も通行可能な国道を走るトラック便や定期運行バスを住民が支持したのは当然だと思う。

古平-余市間のバス料金は100円で、所要時間は30分くらい。最後の定期船金勝丸(1日1往復)の料金は夏期(5月から10月)が110円、冬期(11月から4月)が150円で、所要時間は50分。

そして、「余市山道」も廃れた。新しい国道が出来たら、旧道は非常時の迂回路として活かすなどの目的で自治体に移管して維持・管理されると思うのだが、わざわざ利用する人はいなかったのだろう。