富良野麓郷にあったメルヘンの木(1984年)

1984年9月22日、仙台発フェリーに乗船し、翌日の昼前に苫小牧で下船。

9月下旬にもなると北海道に行く物好きなライダーは少数で、名古屋から乗船した人と札幌まで一緒に走り、ラーメンを食べて別れた。その日の気温は26℃、とても暑かったことを覚えている。

富良野麓郷のメルヘンの木。雲ひとつ無い青い空。山々は既に白い。1984年10月9日、富良野麓郷で撮影。「メルヘンの木」の後ろの山々は、前富良野岳や大麓山(たいろくさん)など。雪で白くなった山は富良野岳か。

なぜこの場所に行くことができたのか、今となっては思い出せない。撮影から30年以上経ち、この風景を見ることは、もう叶わないという。

『北の国から』と麓郷

『北の国から』は、1981年10月から翌年3月まで24話連続ドラマとして放送された。主な舞台は富良野市麓郷で、今でもこの地区に黒板五郎の丸太小屋や風車の家が現存している他、ロケ地として登場した多くの場所がある。

もともとは東京大学の北海道演習林(1899年(明治32年)創設)だったところで、演習林に必要な労働力は林内殖民と引き換えに集められ、1921年(大正11年)に最初の農地が払い下げられた。麓郷開拓の歴史は、この年から始まる。

「メルヘンの木」写真の後ろに写っている大麓山(たいろくさん)は、演習林創設時の大学総長、菊池大麓(きくちだいろく)の名から頂いた。麓郷という地区名は、その大麓山のふもとに広がるさと(郷)という意味で命名されたらしい。

1984年当時、『北の国から '84夏』を北海道ツーリング中にユースホステルで観たのだが、内容は覚えていない。周りのみんながテレビの前で放送が始まるのを待っていたくらいだから、人気と関心は高かったのだろう。

ドラマの中で黒板五郎が建てた丸太小屋は焼失することになるが、実際に燃えたのは撮影用のセットで、実物は移設されて新たな観光のコンテンツとして公開された。

丸太小屋や風車の家(3番目の家)、写真館、売店などが点在する「麓郷の森」がオープンした1984年以降、麓郷地区が観光スポットになったのは間違いない。「北の国から」効果は、最終章の『2002遺言』が放送された2002年、翌03年頃までは続いたと思う。

「麓郷の森」の看板の前で撮影。1984年10月9日撮影。当時は「ROKUGO FOREST」表記になっている。右側女性足元の後ろに置かれているエーコープの袋の中には、永井姉妹の昼食が入っていた。パンなどをもらって食べたことをこの写真を見て思い出した。

黒板五郎の3番目の家の前で撮影。1984年10月9日撮影。なぜか「お知らせ この家は、この秋放送予定の北の国から'84夏の中で五郎さん一家の新しい家になる建物です。麓郷の森」と書かれた黒板を持っている。永井(姉)もなぜか包丁を持っている。

富良野の観光コンテンツは、夏のラベンダー、冬のスキー、そして『北の国から』になった。ドラマ中に度々登場した、麓郷にある「メルヘンの木」を探しに行った人もいたかもしれない。

どのようにして「メルヘンの木」を知ったのだろう。彼女たちに聞いたのか、前日に泊まった富良野ホワイトユースホステルで情報を仕入れたのか……思い出せない。どちらにしても、農道をトコトコ走って探したことは確かだ。

1986年7月の麓郷「メルヘンの木」、手前に木がもう1本ある。1986年7月撮影。富良野ラベンダーツーリングのついでに立ち寄った。「メルヘンの木」の他にも木があったことがわかる。

1986年7月の麓郷「メルヘンの木」と農作業しているトラクター。1986年7月撮影。『'98時代』にこの季節の「メルヘンの木」が登場する。雪子おばさんが離婚して東京から一人麓郷へ戻ってくるシーンで。